でんごんくんプロジェクト あとがき

始まりはペヤングでした。
家の近所に先に行われた区長・区議選の選挙ボードがあったのです。
毎日駅に向かう途中で見ていたのですが、最近の選挙ボードは、場所による不公平感を解消するためか届け出順ではなく、数字がランダムに配されていることに気づきました。
例えば杉並区長選のボードでは
2 山田宏

1 とりう千恵
と並んでおりまして、真ん中にぽっかりと空白があるのです。
日々見ていると、その空白が気になって気になって仕方がないのです。
そして、区長選も無事終了したある日。
選挙ボードはまだ撤去されずに残っていました。
そして、相変わらず真ん中には空白の3。
ああ、はりたい……。
ということで

2 山田宏
3 ペヤングやきそば からしマヨネーズ
1 とりう千恵
となったわけです。
ペヤングの他にもいろんな物を貼ってみたのですが
試みに短歌を貼ってみました。
なかなか愉快でした。
調子に乗って、区議選の空白に紛れて自作の短歌を貼ったら面白そうだ、
などと画策していたのですが
そうこうするうちに選挙ボードは撤去されてしまいました。
満たされない思いを抱えつつぶらぶらしていると
公園にあった掲示板にふと目が行きました。
「でんごんくん」と書かれたその掲示板は
区民に開かれた掲示板、と説明書きがありました。
ふむ、ここならどうやら貼って良さそうだぞ……。
早速、自分の短歌を貼ってみました。
なかなか愉快でした。
調べてみると、でんごんくんは区内全域に渡って
134ヶ所あることがわかりました。
杉並区を去る最後の1ヶ月、杉並区を廻り歩くのも悪くない。
でんごんくんプロジェクトはこうして始まりました。
短歌の発表場所に街を選んだということは
60年代に隆盛を誇っていた
フルクサスと呼ばれる活動(日本ではハイレッド・センターなど)や
寺山修司の市街劇が好きだったので
それらの影響を受けているのかもしれない
などと貼っているうちに思いましたが
自分としては、60年代のような反体制的な思想など持ち合わせておらず
ただただ、でんごんくんを探し出して貼る
というゲームに興じていただけでした。
ちなみに、寺山の市街劇の代表作『ノック』は
阿佐ヶ谷を舞台として行われたそうです。
今回のプロジェクトを成し得たのは
はがしびとの皆さまの存在が非常に大きかった、というより
むしろ、これがこのプロジェクトの肝であったと改めて思います。
佐々木あららさんをはじめとしてイベント的に盛り上げて頂いたことにも大きく助けられました。
そして、今回のプロジェクトを通して何よりうれしかったのは
はがしびとの皆さまからちらほらと
杉並区がいいところだという感想が聞かれたことでした。
寺山の死んだ病院で生まれた私は生まれながらの杉並病なのです。
大学時代は杉並病の原因となったゴミ焼却炉の前にある
ヨークマートで買い物をしていたぐらいなんです。
杉並病で死ぬならもう本望です。
でんごんくん、ありがとね。
元気でね。
また必ず会いに行くからね。